老害夫と犬と私

毎日、今日が最後の日と思って楽しく暮らしたいので邪魔しないでほしい

記憶屋

 

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Huluで「記憶屋」という映画を観た。

 

消したい記憶、忘れて欲しい記憶、人は記憶があるから厄介だ。

逆に留めておきたい記憶も、人はきっと忘れて

いくのだろう。

 

私には嫌な記憶がいくつもある。

親のいない女の子が生きていく中では、人に言えないことが少なからずあった。

幼少期、学生の頃、結婚する時、子育て期、周りが理不尽に私をいじめたり、侮辱したり、蔑んだり、軽んじたり、また、私自身が自分の未熟さ故に、選択の誤りや無鉄砲な振る舞いや失礼な対応など。

忘れたいと思えば思うほど記憶は留まり、消したいと思えば思うほど、鮮明に蘇る。

 

老人力というものが発揮されるのを待っているが、そろそろだろうか。

恥という概念は、行為そのものではなく、恥ずかしい事を他人に知られる事によって発生する。

私がここで裸で下手なダンスをしたところで、誰も知らなければそれは恥にはならない。

 

消したい記憶は、恥ずかしい記憶と忌まわしい記憶。

恥ずかしい方は、それを知っていた人達が全員死ぬしかない。覚えていないと思うし、誰も私の事を気にしていないのは知っている。それでも、だ。

今すぐ、全員死ねばいいと思う。

それよりも、自分が死ぬ方が早いか。

 

忌まわしい記憶は、私の中の記憶なので、私が忘れれば終わる。

つまりは老人力で忘れるのを待つか、死ねばいい。

わかってはいるが、時折、それらに苛まれてどうにもならなくなる。

いたたまれなくなる。

 

そんな記憶を持たない、守られて生きてきた人達を妬ましく思う。

 

あなたには

記憶屋に頼んで、消したい記憶はありますか?