おまけの時間

楽しく老いればいいんじゃない?

7月の句

昨日は7月句会だった。

普通の句と挑戦句を半々くらい。

 

兼題は「新馬鈴薯」

新馬鈴薯やバター溶け落つ白磁の器

多分、わかりやすく光景も見える普通の句。

ただ、これのどこが詩情なのかが、私にはわからない。

元来、捻くれ者である。

なので、見えるもの以外の何かを言いたくなる。

含みを持たせた言い回しとか、理解するのに知識が必要だったりするのが好きだ。

 

わかりやすいオヤジギャグはダサくて嫌い。

ブラックジョークが好きなのだ。

 

点は線線は点へと戻り梅雨

向日葵や交信先に土星あり

鬼灯の破れて嘘のあるうなじ

 

どれも解って頂けなかった笑

挑戦句、全滅笑笑

 

でも、これからも私らしくいこうかな、と思っている。

先生的には、嫌な生徒だろうが、講師というのは、生徒を選べないものだ。

私もそうやってやってきた。

まあ、我慢していただこう。

 

 

中田敦彦youtube大学

大学生になった。

中田敦彦youtube大学の、言わば聴講生といぅものだ。

 

大学生になりたかった。

せめて、専門学校に行きたかった。

今思えば、親のいない子が何言ってんだ、高校まで出してもらっただけでも感謝しろって話なんだが。

別に勉強が好きな訳でもなく、なりたい職業があった訳でもないのだが、大学生に憧れた。

 

その頃傾倒していた音楽やアーティストの影響もあっていくらか左派寄りの考え方をしていた。

昔、アナーキストだったと言う祖父の影響もあったのだろう。

世の中や政治に物申すということに憧れた。

それが大人だと思ったのだ。

今思えば、それこそが子供だったのかもしれない。

 

1976年、学生運動は下火となり、さまざまな革命連合が崩壊した頃であった。

だが、その時代を思い出すと、今直ぐにでも戻れそうなのは何故だろう。

 

フォークギターをやっていた私は、ヒッピーファッションに憧れるカーリーヘアーの女の子だった。

それが、日本橋の商社のOLになった。

 

仕事もちゃんとやったとはいえない。

実務の能力値より、私生活の能力値の低さがきわだっていたが、まあ、それが許された緩い時代だった。

 

それから40数年経って、やはり大学生に憧れている。

中田敦彦YouTubeのチャンネルに「大学」という名前をつけてくれたおかげで、私は晴れて大学生になれたわけだ。

 

好きな勉強だけしたい。

わがままな学生の誕生である。

 

銀のエンジェル

金のエンジェルか銀のエンジェルを期待して封を切る。

大概、どちらもない。

 

今までの人生で、私は「おもちゃの缶詰」をもらった事がない。

アレは嘘なんじゃないか?とすら疑ってしまう。 

 

と思い、今メルカリを調べてみたら、缶詰も売っているし、なんなら銀のエンジェル5枚が売られている。

 

銀のエンジェルはたまに見かけた。

それを大事に「どこか」に閉まってしまう。

3枚くらい集まったところで、所在が怪しくなり、記憶はリセットされ、また1から集め始めるを、多分何度も繰り返してきた。

 

私の人生はそんなもんだったなぁと思う。

もちろん、金のエンジェルなど出る訳も無く、出るとも思っていない。

銀のエンジェルさえ、私の元には5枚は集まらないと諦めていた訳だ。

5枚のエンジェルは、常に単発のラッキーであり、大きな5枚のラッキーの5分の1ではなかった。

 

その1枚1枚のラッキーで満足してきた。

他の人は5枚集めたり、金が出たりして、私が満足する小さなラッキーなどでは無く、もっと大きなラッキーを手にしているとは思わなかった。知らなかった。

 

遅いのか?間に合うのか?

銀のエンジェル集めをしてみようと思う。

ドッサリは買わない。

今まで通り、時々買って。

死ぬまでに5枚のラッキーを積み重ねて、おもちゃの缶詰をもらっみようと思う。

餃子と焼売

昨日、夕飯に焼売を焼いた。

 

実は私はひき肉が苦手だ。

なので、焼売はほとんど作らないし、滅多に買わない。

逆に餃子は好きで、野菜が多い(肉はほんの少し)のを手作りする。

気が向けば、皮から作る。

 

ダンナは、肉人間なので、私の作る野菜たっぷりの餃子が好きではない。

私はハンバーグも野菜が多いのだが、ダンナはそれも好きではない。

当然、キャベツまでたっぷり入った私のメンチカツも。

 

私は、何よりも野菜が好きなのだ。

ダンナは、肉と炭水化物が好きなので、まったく気が合わない。

 

たまたま、目についた焼売を買ってきて、チャチャっと焼いて出したら、まあ、よく食べるので驚いた。

え、焼売好きだったの?

ヘェ〜、30年以上、夫婦やってきたけど、知らんかったわ。

 

餃子を好きじゃないのも、肉肉しいハンバーグが好きなのも、定年してから知った事だけどね。

ラーメンが好きだから、餃子も好きなのかと勝手に思ってた。

 

何を出しても文句を言う訳ではないので、ダンナの好みに合わせるつもりもない。

食べたい物は、自分で作るか外で食べてくれ。

 

 

切り抜き動画始める

あろう事か、切り抜きチャンネルを開設した。

メンタリストDaiGoと中田敦彦の切り抜きだ。

この人達のファンである事は間違いないのだが、動画編集までやるとは思わなかった。

自分で驚いている。

 

元々、YouTubeにはチャンネルをもっていて、そこにはうちの犬の動画だったり、バンド時代のライブ映像がのせてある。

何年も、自分がアップするという事から遠ざかっていた。

 

3月に絵画サークルの展示会をやった時に、コロナ禍という事で来場者が少なかった。

そこで、みんなの絵を静止画で撮り、動画に編集してアップした。

年配者が多いので、それは余り喜ばれなかったと思うが、久しぶりの編集作業は面白かったのだ。

 

DaiGoの切り抜きが解禁になり、登録者1500人と聞いて、これは話しにならんと諦めかけたのだが、PC好きの私には、そこそこ良い趣味の様な気がした。

収益化できるかどうかを問題にせず、やりたい事をやってみよう、と考えを変えた。

 

そう。何故、勝てなければやらない、と思ってしまうのだろう。。

60過ぎのお婆ちゃんが勝てる訳がないのだ。

センスも技術も若い人には敵わない。

かつては、周りにPCができる人など居ず、インストラクターなどをやってきたのだが、今や同世代の中でしか勝てない人となった。

己の立場をちゃんと俯瞰して見ろよ!私。

 

とりあえず、動画編集ソフトを買い、勉強を始め、切り抜き動画を何本か上げた。

今はまだ、面白くて一日中PCの前にいる。

運動不足になるし、飲んだり食べたり、タバコ(ニコレスだが)の本数も多い。

 

自分はホントに一人で家の中で何かしてるのが好きなタイプだよなぁとつくづく思う。

 

この事は息子しか知らない。

息子は、私の収益化したチャンネルを私の死後、もらおうと狙っている。

なので、頑張れ!と応援する。違う意味で笑。

私は、新しい趣味を見つけた、と思っている。

収益化できたら、奇跡である。

ひろゆき信者

https://youtu.be/nFfwJLvHSXM

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ひろゆきライブ配信の録画や、過去の切り抜きを毎日聴き流している。

花の水やり、洗濯物干し、野菜採りという朝のルーティンに加え、畑仕事、犬の散歩、買い物と、とにかく「ながら」ができる時は必ず、youtubeを聴いている。

その中でもとりわけひろゆきとDaiGoの登場回数が多い。

 

何回も同じ録画を聴いていたりして、何回も同じところでニヤニヤする。

自分に聴くパワーがある時は、DaiGoや中田敦彦や本要約チャンネルも良いのだが、緩い気持ちの時はひろゆきがちょうどいい。

 

ひろゆきにスパチャを投げてくる人は、低所得の病気持ちの無能か、高学歴で高収入の有能のどちらかである。

こんなダメなオレ、どうしたらいい?という問いに、ナマポ(生活保護)もらってダラダラ生きてってください〜 と言うひろゆき

私、こんだけちゃんとやって来てるんで、この先もう少し稼ぎたいのですが?という問いに、外国行っちゃってください!というひろゆき

などなど。

 

どちらも極端だが、だいたいどちらかに分類される。

程よく、年収400万位で偏差値50くらいの人は出てこない。

そういう平均点の人は、ひろゆき信者にはなりにくいのかもね。

自分の能力と収入が合ってないと思っている人が多い。

「自分が無能だという事を認めてください」と、ひろゆきは言う。

「あなたは選ぶ側ではなく、選ばれる側です」

全く、その通りだよな。

 

自分の優秀さは自分しかわからないんだよ。

わからない周りがバカだ、とうちのバカ息子が宣うが、解るように見せられないお前がバカだと、私は思う。

 

私が言えない事を言ってくれて、なんかスッとするんだよね。

無能が悪いのではなく、無能は無能なりに真面目に楽しく生きていけば良い。 

認めた方が人生が楽になるんだよ。

 

私もいろんな事をやってきたけど、結局何者にもなれなかった。

今は、ただの農家の婆さんだ。

 

その時々で、さまざまな肩書きがあって、どの自分で生きていくんだろうと思ったが、削ぎ落としてみれば何も残らず。

サッパリして、楽になれた。

 

誰にも期待されない事は、とても気楽。

どの肩書きも成功までに至らず、今の自分がいる。そして、それが案外好き。

 

「あなたは無能です」

この言葉の限りない緩さに、私は毎日気持ちよく漂っている。

 

Death note

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私はデスノートを持っている。

本物だ。

本物なので、まだ使ったことがない。

初めに誰の名前を書くかは重要な問題だ。

 

自分の死は操れない。

が、もし操れるとしたら、私はいくつで死ぬ事にするのだろう。

平均寿命より長生きしたいとか、元気でボケなければ100まで生きたいとか、欲望は限りない。

でも、70でガンになって苦しくても死ねないとか、何かつまらない事が起きて、もう死んだ方がいいと思っても死ねないとか。

死ぬのも辛ければ、生きているのも辛いかもしれない。

 

だから、自分では決められない。

誰かが持っている"本物のデスノート"で、もしかしたら私の寿命はもう決められているのかもしれないが。

 

とにかく、私が操れるのは他人だけ。

 

はるか遠い未来に、子供達の名前を書こう。

安らかで幸せな最後だと書いておこう。

とうてい私が見る事のできない未来に。