「見えない」と言う人
老化によって、老眼になり、近くが見えにくい人が多い。
スマホで情報をとったり、連絡手段として使用する事が多い昨今、「見えないのよー」と言う言葉をよく聞くようになった。
インターネットの普及以前、人々の連絡手段は電話が主であり、続いてハガキや手紙といった通信文化があった。
すなわち、その場で文字を読むような事は必要なかったのである。
私は情報源がスマホなので、朝のニュースチェックから天気予報までスマホで済ませる。
元々、ど近眼で眼鏡が無ければ階段も見えないし、料理もできない。そこに老眼が加わり面倒臭いことになっているが、中近両用眼鏡で何ら困る事はない。
眼鏡の度合わせは、スマホが見えて、本が読めて、料理ができること。
夜間の運転時のみ、メガネを掛け替えている。
周りのシニア達もみなスマホを持っているが、使っていない。何故なら「見えない」と言うのだ。
見えないなら見えるようにすればいいのに、自分が使いたい時だけ取り出す。
こちらからの連絡には基本対応しない。
もちろん、情報機器ではなく電話機と化している。
なんとも勿体ない話である。
せっかくこの時代に間に合ったのに。
使わないなら、LINE繋げてって言うな。
繋がっている以上、連絡はLINEだ。
見てない、とか知らんわ。
そう言うのを聞くと、年寄りっぽいと思うのだよ。
自分に合うメガネをかけるとか、表示設定を変えるとか、持ってるなら使えるようにしなよ。
教えて、って来たって、見えないんじゃ話にならんよ。